Keine Ahnung.

Dec 03 2008

二宮金次郎、平重盛、吉田松陰……「日本的美徳」を体現したあの物語がなくなった!
「人間は平等だから」という理由であの偉人が教科書から消えていた=濤川栄太

戦後教科書から多くの歴史上の偉人が「消された」。表面的に触れられているだけか、階級闘争史観から否定的に扱われている人物も多い。それが日本人の精神の貧困をもたらしたと、ベストセラー『教科書から消された偉人・隠された賢人』の著者である哲学者・作家の濤川栄太氏は指摘する。

「この民族は、喜望峰以東で私が出会った民族の中で最も傑出している」

 16世紀半ば、我が国に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルの言葉である。

 私は他民族を蔑視する思想の持ち主ではないが、日本人が先祖から「慈悲・慈愛」「篤実」「高貴な精神」「謙虚さ」「繊細さ」といった優れた人間的資質を受け継いできたことは確かだと思う。

 だが、こうした美徳はすでに過去のものになったと、以前から指摘されてきた。拝金主義が蔓延し、弱肉強食を当然のこととし、無差別殺傷事件が連続して起こる今日の状況を見ると、ますますその感を強くする。

 日本人の美徳がすたれた原因には様々あるが、国家の土台を作る教育に第一の原因があることは間違いない。特に戦後の教科書から歴史上の偉人たちが「消されて」しまったことが大きい。

 言うまでもなくこれは、GHQが敗戦前の日本の歴史を全否定し、東京裁判史観に基づいた教育を日本に強い、それに階級闘争史観を持つ左翼系の学者が乗ったからだ。偉人の価値を権力に抵抗したかしないかで決めたり、「人間は誰でも平等」という社会主義的イデオロギーで偉人を排除したりした。

 こうして戦後の子供たちが歴史上の偉人について学ばなくなり、それとともに日本人の美徳も消え去ってしまった。これは由々しき大問題である。

神話を教えない国は世界のどこにもない

 今の教科書に是非とも復活させるべき歴史上の偉人として、私がまず挙げたいのは、神話の登場人物だ。

 世界中どこを見渡しても神話のない民族はなく、自国の神話を教科書で取り上げない国はない。共産主義の中国でも尭、舜、禹の伝説時代、さらにはそれ以前の三皇五帝の神話時代について研究されている。民族の神話や国造りの伝説を学ぶことで、子供たちは民族、国民としてのアイデンティティを確立し、歴史への関心を深め、健全な精神を成長させていくからだ。

『古事記』や『日本書紀』を読めばわかるように、幸い日本には豊かな物語性を持った神話や伝説があり、そこには天照大神を始め、神武天皇、大国主命、日本武尊といった魅力的な人物が生き生きとした情感とともに描かれている。

 戦前の小学生向け歴史教科書『尋常小学国史』は、こうした神話、伝説とその登場人物について詳しく書いていた。

 だが、皇国史観につながるものだとして、戦後は全く取り上げられなくなった。そして今では、天照大神、大国主命、日本武尊といった人物名を読み書きすることさえできない子供が増えてしまった。

 このように書くと、皇国史観の持ち主というレッテルを貼られそうだが、私はそのような思想の持ち主ではない。神話は神話、伝説は伝説であり、必ずしも事実とは限らないと断わり、過剰な天皇崇拝の部分は除いて教えればいい。

「辛いこと、困難なこともあるだろうが、この国に生まれてよかった。この国の民として頑張っていこう」

 民族の神話や国造りの伝説は、こうした士気を子供たちに芽生えさせてくれる。これが民族と国家の未来にとって大事なのである。

撤去された二宮金次郎の像

 日本的美徳を体現した人物であり、戦前の教育では子供たちの手本に挙げられながら、戦後はほとんど顧みられなくなってしまった人物の筆頭と言えば二宮尊徳だ(1787〜1856。農政家・思想家。通称「金次郎」)。

 戦前は全国のほとんどの公立小学校の校門の脇に、少年の日の二宮尊徳の石像が建っていた。背中に薪を背負い、本を読みながら歩いている像だ。親を助けて山に薪を取りに行くのだが、その間も時間を惜しんで勉強する。この勤勉さを子供たちに教えることが像の目的だった。

 ところが戦後、像はほとんど撤去され、教科書でも詳しく教えられなくなった。勤勉さが基礎となって日本人の愛国心や忠誠心が育まれたと、GHQが考えたからだ。GHQにとって二宮尊徳は「危険人物」だったのである。

 しかし、勤勉であること、さらには親孝行であること、世のため人のために尽くすことは普遍的な美徳である。

 もうひとり、日本的美徳の体現者を挙げておこう。平重盛だ(1138〜1179。平安末期の武将・公卿)。平家一門が隆盛を誇り、重盛の父・清盛は後白河法皇を幽閉しようと企み、その任を重盛に命じた。重盛は法皇の臣下として忠誠を選ぶべきか、清盛の息子として孝行を優先するべきか、深く悩んだ。『尋常小学国史』は、重盛が涙ながらに清盛に次のように訴えた場面を描き、「忠孝の道を全うした」と教えている。

「私は、兵を率いて法皇をお守りせねばなりません。しかしまた、父上に手向うことも、子として私には堪えられません。それ故、父上がどうしてもこの企みを成しとげようとなさるなら、まず私の首をはねてからにして下さい」

 戦後の教科書では重盛は単に清盛の息子という位置づけだが、この逸話ほど子供たちに忠孝の大切さを教えるに相応しいものはない。

主婦の鑑を軽侮するジェンダーフリー教育

 戦国時代で言えば武田信玄、上杉謙信、毛利元就ら、明治維新で言えば坂本龍馬、勝海舟、西郷隆盛ら、動乱の時代を生き、新しい時代を切り開いた偉人たちがいる。

 もちろんこうした人物の物語は、戦後も多くの文学作品、映画、テレビドラマで描かれてきた。だが、教科書では単に歴史的な知識としてしか教えられていない嫌いがある。

 中でも最も軽視されているひとりが吉田松陰だ(1830〜1859。長州藩士で思想家・教育者)。黒船来航を眼前に見た松陰は「孰れ天下の瓦解遠からざるべし」と予見し、外国の属国にならないためには尊皇愛国の精神が必要だと考えた。そして、有名な松下村塾を主宰し、高杉晋作、伊藤博文を始め約 80名の門下生を輩出し、明治維新に大きな影響を及ぼした。近代日本の礎を築いた重要人物だ。

 だからこそ、戦前の教科書ではその人物像、功績が詳しく教えられていたが、逆に東京裁判史観にとっては最も邪魔な人物だったのか、戦後は「消されて」しまった。

 先の見えない混沌とした時代の今こそ松陰の先見性を学ぶべきだろう。

 ちなみに、松陰の母・瀧子も、家を守り、子を育て、夫を支える「主婦の鑑」として、戦前の教科書ではその逸話が教えられた。ジェンダーフリー教育は家の外に仕事を持たない主婦を軽侮するが、瀧子のような生き方も価値あるものとして教えるべきだ。

 こうした人物以外にも、日本の誇り、尊厳を世界に示した明治天皇、昭和天皇、東郷平八郎、乃木希典、新渡戸稲造、小村寿太郎、山本五十六ら、復権させるべき偉人は数限りない。

 偉人に学ぶことで、日本人は精神の豊かさを取り戻し、国際社会で尊敬の念を払われるはずだ。

 ひいてはそれが、真の国益や一人ひとりの自己実現につながるのである。

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